謎の感覚など

昨日、夜の道を歩いていて、ふといい感じに誰も知らない事を考えられて、でも今思い出そうとしても忘れてしまっていて、これはごくたまにきて、必ずどこかの道を歩いているときで、辺りが暗い時だ。
これは一体なんなんだろう? インスピレーション的? 考えがぽんぽんジャンプしていって、すごく自由な感じになるの。

そういえば前に、わーっと風にふかれて、その感じとか、地面に自分が今立っている感じ、というのを100%感じる、と言ったら変だけど、ほんとに、その瞬間の感じ方に比べれば普段は20%あるかないかくらい、そういうようなものすごく解像度の高い、データ量の多い実感が突然きて、今ここに僕は立っている、となって、いつもたまに来てすぐに忘れちゃうから、そういう現象があると書き残しておいたのだった。

うーん、あれはなんだっけ。何について考えてたんだろう。昨日の夜、家の裏の道で。
あのまま暮らしたい。

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ドラクエで一緒に遊んでいた人から新しい仕事を頼まれたり。

Chim↑Pomが突然発表したDon't Follow The Wind.、に出展しているグランギニョル未来のトークショーを、くまゆきさんという、国東半島で会ってほんとにお世話になった方からチケットを譲って頂いたので聞きに行ったり。

サラエボで一緒だった田口さんが日本に来ていると聞いたせいか、サラエボの夢を見て、草平さんの事を考えたり。

京都のずっと連絡したかった人から連絡がきてすごく嬉しくなって部屋の掃除をしたり。

「二十歳の誕生日に母親の局部を見ようとする」の翻訳をして頂いて、でもお金がなくて7月でいいですかって聞いたら返信がなくて気まずかったり(まさかこんなに早く終わるとは思わず・・・)

相変わらずファミレスで仕事の続きをしたりしています。

京都に引っ越しなど

7月に京都市に引っ越す事にした。

元々、去年の秋頃に、大阪のATRとかいうところにアンドロイドを見に行く旅行に行って、京都は1泊だけのつもりが20泊もしてしまったのだった。
月光荘という、安いゲストハウスに泊まったんだけど、1階が飲み屋になっていて、そこの常連さんやお店の人がみんなやさしくて、何か面白い場所はないかと言うと、ほんとに1人1人が2、3個ずつおすすめを教えてくれる感じで、次の日その場所に行くと、今度はその場所の人が他の場所を2、3個ずつおすすめしてくれて、という、人づたいの流れがあって、そしてほんとに全部がちゃんと面白い場所で、神社やお寺から飲み屋、川で鳩にパンくずをあげると楽しい、と言われて食パンを1斤買っていったら鳩は1羽もいなくて、そこに通りがかりのおじいさんが話しかけてきて蕎麦をご馳走になったり、など、とにかくそういう変な流れ流れで結局20日も経ってしまったのだった。
町自体の大きさも、だいたい端から端まで10kmあるかないかで、レンタルしたママチャリでどこまでも行けて、その全域にいろんな人が和気藹々と住んでいて、というかスーツを着たサラリーマンみたいな人が東京に比べると1/10いるかいないかって感じで、何をしている人か、みたいな、ほとんど世間話みたいなことでも聞いてみると、サラリーマンですって一言言われて終わり、みたいな事が1回もなくて、林業をやっていて山の斜面に登っていく話だとか、料理屋をやっていて湯豆腐を作る話だとか、髪を切るのが好きで道具だけ持って毎週ここにくるとか、御輿が大好きで毎日のように祭りを廻っているんだとか、織物をやっていて糸を紡ぐ話だとか、その話しぶりにみんな自信があって、この町で暮らしてみたいな、とすごく思っていた。
もちろん旅行と実際に住んでみるのはまた違うけども、そもそも千葉県我孫子市、完全に東京のベッドタウンで生まれ育って、自動的に東京に住んでる現状からすれば、好きだな、って思った町ができてそこに移動していく、というのは、やっぱり希望でしょう。

それで、ちょっと東京の会いたい人たちに連絡して、会えなかった人もいるけど大体会って、飲んだりして、東京にこのままいる方がいいと言ってくれたりして嬉しかったり、なんだこんなに普通に人と会ったりできるなら何も変わらないんじゃ、と思う瞬間もあり、でも僕の今までで、まずそういうのが自然に発生したのが京都なので、少し行ってみるのはやっぱりいい事だろう。

6月中にアパートを出なきゃなので、そうすると今日を含めてあと10日間!しかなく、今日はこれから段ボールに本などつめて、向こうに小さな倉庫を借りて、など、ちょこちょこやろうと思う。

悶々など

なにかイベントだとか展示だとか観に行ったよ、みたいな日記を一度つけてしまうと、特に何もない自分の毎日からちょっと離れちゃうというか、そういうのを書きづらくなっちゃうところがあり、というのはだって他の人がやってくれた物事にただ反応するだけなのはやっぱり楽だからさ。
かと言って、それがきちんと考察やレビューになっているかと言ったらそうでもなくて、どうも低空飛行している。なにごとも集中せねば、と鉢巻きを締め直すつもりで・・・。

夢日記を書き始めたら、思っていたより夢を見ている日というのは多くて、それをこうして公開する事について、普通の日記よりも遙かにハードルが低くて、と言ってもこの日記自体もたいがい適当なんだけど、そうやって、それ自体が面白いか面白くないかみたいのを一切気にしないで普通に外に出せてしまうのは一体なんだ、と思っていた。僕自身の諸々の衝動や生活自体についてだって、夢と同列に、今までの僕の過ごした時間時間から出てきているものなんだから、同じように肯定していいはずだし、いくべき、なのに、そこで引っかかっているのは単純に、努力次第でもっと良くできたはず、の1日と、努力なんて特にしようがない夢、との違いで、最近の僕はそうだ、怠けていると自分で思ってしまっているんだろう。

この怠ける怠けないというか、努力するしない、みたいなの、じゃあこの日記に積極的に書いていきたい僕、怠けてない、努力している僕、というのがあるとすれば、きっとそれは最初に書いたような、もうちゃんと評価の定まった誰かの作品を見た事だとか、それこそ誰かに褒められるような事ばかりしか想像できなくて、そんなのばっかりになったら生きてる意味ない。怠ける、というと言葉が悪いけど、でもきっと頭の中で勝手に想定している、全然具体的ではないけど、今これをやっているべきではない、みたいな、小さな頃からのおかしな強迫観念のようなもの、が、形を変えて今こうして出てきているのだろう。
がんばったがんばらなかった、みたいのは、いつでも何か物事をやった後の話で、最初から努力!みたいのは、僕の場合、多分全然違う方向から、そういう名前だけ借りてやってきているだけな気がする。
誰にも褒められない事を好きに、やったりできるようになりたい。褒められない!

やっぱり褒めて欲しいけど!

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全肯定の姿勢でがんばるんだ、っつったって、その全肯定する様子自体をこの日記に書いたところでなんになる大井よ・・・

いやいいんだいいんだ どうでもいいんだ TwitterでもFacebookでもない、俺のホームページだぞ!!
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