車が故障したりして、東京が思ったより長引いてしまった。
でも会いたくて連絡の取れる人には大体会えたし、それもみんなとてもよくて嬉しかった。
吉原の準備期間中は、作品のビラを配るため毎晩吉原を飲み歩いた。
前に住んでいた吉原のアパートの、隣のおじさんの部屋をノックしたら、中に入れてくれてビールをくれて、これまで聞いた事のなかった身の上話を聞かせてくれた。北海道で生まれて、ずっとジャズバーで演奏していて、気に入ってくれたどこかの社長に浅草に誘われて、それから30年もそのアパートに住んでいるんだと言っていた。
最初、引っ越してきた僕の事を見た時、髪も長くて大きなバイクに乗って、大丈夫なのかと思った、と笑っていた。僕の訪問をすごく嬉しそうに迎えてくれて、また来なさいよ、と言ってくれた。
1つ上の階に住んでいた大道芸人の人とも一緒に飲んで、何年か前に大道芸をはじめて、最近は大きな遊園地で働いていると言っていた。
家賃を納めていた不動産屋さんにも会って、その後の話などをしていたら、裏からポチ袋を出してきて、これでご飯でも食べなさいと言ってくれて、京都に帰ってからの数日をそれで生活させてもらった。
あんなにずっと1人ぼっちでいるんだと思ってたのに、みんなすごく優しかったんだと思って、嬉しかったし、ちょっと気恥ずかしい気にもなった。
終わってから、ブラブラと人に会ってみたり、新宿のChim↑Pomを見て、歌舞伎町がすごく好きになったり、茨城県北芸術祭に好きな作家の作品を見に行ったりした。
車で茨城まで行って、その展示場所になっている旅館に入ると、何年も前に舞台でスタッフをやっていた女の子がいて、ぱっと挨拶してくれて嬉しかった。
作品はいくつかの場所に別れているんだけど、幽霊というか、その場に誰もいない演劇のようなものをやっていたその旅館が、本当に良かった。
京都で、友達の家で飲んだ後のうっすら明るくなっているような時間帯に、いつも使っているファミリーマートがどう見ても山の裾に立っていて、まるっきり田舎な事にびっくりした事があって、そんなことおかまいなしにそういう生活圏内がキラキラしている、魔法のようなもの、が僕の京都にはある。それに似たようなものを、作品として、すごい強度でガツンと見せられたようで、先の吉原や新宿も踏まえて、ああ僕は、この魔法をもっともっと大事にしていこう、と確信、めちゃくちゃに励まされた思いがした。
帰り道は真っ暗になってしまって、徹夜で行っていたので眠くなって、茨城の山の中に車を泊めて、寝っ転がったら、星がすごく綺麗に見えた。光の全部が、僕の脳の最大値をちょっとずつ超えて、完璧に全部が幸せだった。
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実家で犬の頭を撫でていて、1時間くらい完全にこれに集中してみよう、と思って、ずっと犬の事だけを考えて撫でて、そしたらその場にいる魂みたいなもの、をなんとなく、直接触っているような、これは言葉にまだちゃんとできないんだけど、変な感覚があって、それを京都に戻ってからも引きずっているところがある。
もっと自由に活動していきたいと思って、人の事を病的に気にしてしまうので、もしかしたら人が気にすると勝手に思ってる自分自身みたいなものを、消していくような作業なのかな、と思って、布団に寝っ転がって、自分に関するあらゆる事を一つずつ消していく、と、窓の外の風の音がわーっと大きく聞こえてきて、それだけしかこの世になくなって、なんだ何も気にする事はないんだ、って、安心ゾーンへの入り方みたいなものを見つけた。
それから毎日1時間ずつくらい、勝手にこういう、布団の上の瞑想みたいな事をするようになって、考えてみれば小さな頃はずっとそうしていた。これが今一番楽しい。似たようなところに落ち着いたり、全然関係ないところにいってしまったり、でもなんとなくデッサンのようなもので、今この時点での僕みたいなものに関して、どこかで主線をひけるようにもなるのかもしれない。両親の不仲やお受験やでしんどくなる前の、小さな頃の自分を、大人になって今やっと引き継いでいるような感じがする。
12月23日に朗読をするし、同じ時期にやるプランみたいなものもどんどん出来て、でも意識みたいな事に頭の中で集中して、他人の反応が全く関係なくなったとして、じゃあ次の瞬間の僕の活動、どころか行動の一切が、なんなんだろう。そしてこの追求をこそ進めるべきなんだと思う。自閉と根性。
朗読は前回やってみて、何回かやらせて頂いたけど、テキストを準備するのは2回目なので、そのまま似たような事になってしまってもしょうがない。今自分が書くべきテキスト、というか向き合うべきもの、みたいなものが、あるんだろう。あるのかな。
というのが11月21日の朝。