1年前の京都旅行で、今住んでいる吉田山という丘を登る途中に、大量の電化製品が散らばっているゴミ屋敷みたいのがあって、そこのおじさんとちょっと立ち話したのを、今ふと思い出した。
でも、あれがどこだったのか全然わからない。
考えてみると、住み始めた今ではたどり着けないというか、どこにあったかわからないようなものって他にも多くて、電車に揺られて行った長い石の階段のある山だとか、ラブホテルばっかり並んでる路地だとか、魚屋の奧の料亭だとか、いっぱいある。
京都という場所、みたいなものが多分2次元的にあって、自分がその上を通っていく道筋みたいなものが1次元の線になって、その時どきのタイミングで、場所の現れ方みたいなものが少しずつ違くて、それはものすごく細かく枝分かれしているんだろう。
そして何度もその線を引いていくと、白い紙をボールペンでぐるぐる塗りつぶすみたいに、なんとなく2次元になっていって、その地域自体を自分なりに把握できていくんだろう。
住んだり旅行にきたり、それに関わった人数分、何重にもそういうぐるぐるの紙が重なりあって3次元になっていて、これが町だ。
例えば食べログだとか歴史だとか、そういうのは点点とした0次元でしかないような、最初から白い紙自体を俯瞰できるわけじゃないし、そこに線としてすーっとくぐりこんでいくというか、そうしている存在は一体なんなんだろう。
なにが僕に、その場所にそういう形で線をひかせるんだろう。