話してみればただ淡々とした事実でしかないようなところ、自分でもちゃんと面白がれるような取り出し方ができる事がたまにあって、そういう時はすごく嬉しい。過去や未来も含めて、ここにいる僕の事、それはもう変えようがないはずなのに、それぞれの瞬間は何かの結晶のような、多面体をしていて、きゅっと突然、それがすごく綺麗に見える角度に、意識が移動できて、そういう時は目の前を覆っていた液晶の素子みたいなものが一斉に縦に並ぶような、それでさーっと光が入ってくるような、なんだか自分の向かう先だとか興味だとか、この先の長い未来にある事まで、全部が同列に明るく見えて、いい気持ちになる。

1年前だけど、鳥取での免許合宿に向かう夜の高速バスの座席で、まんじりともせず、その瞬間瞬間に自分の乗っているバスのタイヤが触れた道路のアスファルトの小石1つ1つへの想像に、突然意識が向いて、その小石に、その時の僕自身がバスのタイヤを通して触れる、出会ってしまう、バスが走ってタイヤが回るたび、次の小石、その次の小石、と無数にジャンプしていって、通り過ぎる一瞬一瞬、時間と物質と意識が、全てその接地面の一点にある小石1つに収束して、全部の小石が、そこにあるべくしてある、小石から道路からその上に座る他人や僕自身、この世の全てが今、代替不可能なんだ、と思って、そこから元気になった。

慎重に慎重に、その元気をこれまで保ってきて、だいたいもう平気そうだし、今夜からは意識的に、角度。
瞬間を一番綺麗に見る角度、をすっと探す事、移動できるようになる事!

それは僕と世界との摩擦をそのまま誰かに丸投げしない事、物語にしていく事、その中で生きる事。
コピルアク〜。